- 痛みで苦しんでいる患者さんの痛みをなんとかしたい。
- でも今の技術で満足させて頂いているのだろうか?
- リピート率が低い、体力が続くのだろうか?
施術家の誰もが通る悩みの一つです。
横山式筋二点療法の創始者である横山 桂子もその一人でした。
長女(現ゼミナール副会長)の喘息をなんとか治したい。
西洋医学の治療は殆ど行いましたが、4-15歳まで入退院の繰り返しの日々でした。
喘息に効果があると言われた西洋医学の治療や、民間療法は殆ど行いました。一般に喘息は息を吐くのが苦しいと言われていますが、長女の場合は逆のパターンでした。
咳も殆ど出ず、息を吸っても空気が入らない状態が続くのです。
しかも発作は決まって夜中の2時頃……
そして発作を起こす数日前には酷い頭痛を起こし、子供の頃から副腎皮質ホルモン剤の投与に注射に鎮痛剤の服用の日々、15歳の時には薬の副作用で娘の顔はパンパン※でした。
※ムーンフェイスという副作用のことです
呼吸をするのも苦しい長女は布団を何枚も積み重ね、そこにもたれて前かがみの状態が何日も続くのですから、睡眠不足の日々でした。
看病している私も同じこと…
疲れはピークに達していました。一時は気候の良い台湾で療養をさせようと考えましたが、身体への負担も考え、東京よりも空気が澄んでいる茨城県へと引越しをしました。
当時、東京から茨城県への移動の事よりも体の事だけを考えていたので、それが影響したのかどうかはわかりませんが、長女の喘息は東京にいる頃より、更に酷くなってしまいました。
後から知ったのですが、筑波山の冷たい風と湿気の多い茨城県は喘息には良くなかったのです。
小6の時にはあと30分治療が遅れていたら寿命も終わり、という所まできた時、会長は決心しました。
「私が絶対にこの子の喘息を治してみせる!」
この強い母の愛情が横山式筋二点療法が誕生したきっかけとなったのです。
4-15歳まで入退院を繰り返していた長女も30歳になる頃には喘息も完治をし、治療の勉強をしながら接客のプロとして指導もし、晴れて鍼灸師となり、一緒に全国各地の先生方に施術の方法のセミナーを始めて2018年で24年になろうとしています。
<< 当ゼミナールの指導体制|筋二点療法誕生のきっかけ >>